■愛知郡長久手町武蔵塚にある古戦場公園
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■古戦場公園
■所在地:
愛知県愛知郡長久手町武蔵塚204番地
■交通アクセス:
リニモ東部丘陵線「長久手古戦場」下車
■概要:
駅のすぐ西の古戦場南の交差点を右に折れ、100mほどいくと左手に古戦場公園の南の入口がある。入口のすぐ西、公園の南端に庄九朗塚がある。池田元助は池田恒興の長男で、岐阜城主であった。1584年、秀吉に味方し、父や義兄の森長可とともに小牧・長久手の戦いに参戦し、家康の本拠岡崎の奇襲を企てたが失敗し、この地で戦死したと伝えられている。公園の北寄り、駐車場北側の木立のなかに勝入塚があり、公園のほぼ中央に、小牧・長久手の戦い400年を記念して1985(昭和60)年に開館した長久手郷土資料室がある。この資料室は2階建てで、1階の小牧・長久手の戦いに関するコーナーでは、地形の模型やパネルなど、関係資料が展示されている。2階には岩作のオマント、長久手の棒の手などの民族資料や古墳・古窯などからの出土品が展示されている。また、古戦場公園の西400mほどのところに武蔵塚がある。本能寺の変で信長とともに死んだ森蘭丸の長兄で、美濃金山城主であった森長可の塚である。舅の池田恒興らとともに岡崎奇襲を企てたが失敗し、4月9日仏が根で戦死した。長可が武蔵野守であったことから名づけられた。
(この項愛知県の歴史散歩引用)(2008.11+)
■長久手町郷土資料室■
訪問した日は「長久手の地名展−長湫編−」という特別展をやっていた。
■郷土資料室案内板■
■郷土資料室館内2F■
■和弓場■
和弓5人立。
■国史跡勝入塚■
池田恒興(1536〜84、庄三郎、信輝、勝入斎)の戦死の場所と伝えられています。恒興(は美濃(岐阜県)大垣城主で、天正12年(1584)の小牧・長久手の戦いの時は秀吉に味方しました。この戦いの中、小牧山(小牧市)と楽田(犬山市)で家康と秀吉が対峙したとき、家康の本拠地の岡崎攻めを秀吉に進言し、自ら軍を率いて侵攻しました。しかし、途中、岩崎城(日進市)を攻めるのに手間どり、家康軍先遣隊に追撃の機会を与えてしまいました。結局この地で家康の本隊と会い、仏が根の戦闘で戦死しました。恒興は、天正8年(1580)入道し、勝入斎と名乗りました。塚名はこの法名にちなむものです。長久手町教育委員会
■勝入塚■
■長久手合戦”縮景”■
■古戦場公園■
第一と第二駐車場がある。
火曜日〜土曜日/8:30〜21:00
日曜日・祝日/8:30〜17:00
月曜日/休